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会長のひとりごと

西端春枝さんに学ぶ


 私は、大阪の淨信寺(じょうしんじ)副住職だった西端春枝さんを尊敬していました。大正11年生まれで、美しく、頭脳明晰(めいせき)で、しかも明るく楽しいお人柄に魅(み)せられて、20年前からの「あこがれの人」でした。
 親しみを込めて、“春枝ちゃん”と呼んでいました。春枝ちゃんの周りには笑いがいっぱいで、春枝ちゃんが相手を気づかい、笑顔で真理をつく苦言を呈(てい)されていたからです。その春枝ちゃんの真言を受けて素直に反省するファンも大勢いました。私も、その一人で自称、春枝ちゃんの門下生でした。
 平成29年2月27日、淨信寺にて、第4回「大阪・松岡会」を参加者50名で開催しました。基調講演は勿論(もちろん)、スーパー・ニチイの創立に参画された「講演の達人」西端春枝さんにお願いをしました。
 96歳という高齢にもかかわらず、軽妙な語り口で参加者を惹(ひ)きつける西端さん。印象的だったのは、こんなお話です。

 ……今、この年齢になって自分の歩んできた道を客観的に眺(なが)めることができるようになりました。
 世の中には「追いかけられる人生」を歩んでいる人と、そうでない人がおられます。前を走っている人のことが何か気になって、どうしても追いかけたいという人もおられます。
 でも今、しみじみ思うことは、そんなに慌(あわ)てなくてもね、前を走っている人は多くいます。時々、後(うし)ろを振り向いてください。家族で楽しみながら、社員と人生を語り合い、仕事を楽しみながら、ゆっくり歩いている方もあるのです。
 経営者の方は、人生の幸せとは何かということを、自分の人生観の中から社員に教えるのが仕事です。「売上げを上げろ」と言わんかって、売上げを下げようと思って会社に入ってくる人は一人もいない。この会社に入って一所懸命に売上げを上げて、給料をもらってと、みんながそのように思っています。
 皆さん、ご存知(ぞんじ)か知りませんが、『歎異抄(たんにしょう)』という本に「すべての命あるものは世々生々(せせしょうじょう)、生まれ変わり、今、出会っている」とあります。私と皆さんにしても、兄弟であったか敵同士であったか分かりませんが、そういう人たちが今、出会っているのです。だから自分が今、出会っている人を大切に、心から愛していかなければならないということです。

(後略)
※ 西端春枝さんは、令和2年6月に永眠されました。(99歳)

(フレッシュタニサケ2021年9月号より抜粋)

「10年の知己」


※知己(ちき)とは「自分のことをよく理解してくれる人、あるいは親友」のことです。

 宮崎市立大宮中学校の水元重夫元校長とは、平成29年1月22、23日開催の「タニサケ塾」にご参加いただいてから交流が始まりました。
 その塾に参加後の水元校長の感想文に「職場でよく職員に伝えている言葉があります。それは、森 信三先生の『人間には進歩か退歩かのいずれかがあって、その中間はない。現状維持と思うのは、実は退歩している証拠だ』という教えです」とありました。
 森先生の言葉を引用されたのには感心しました。偉大なる森先生を知らない学校の先生が多い中、水元校長は森先生の著書を読まれ、しかも、自校の先生方に森先生の名言を教えられているとのことで嬉しくなりました。そこで、私の知る名教育者の長崎県の竹下 哲(さとる)先生、兵庫県の東井(とうい)義雄先生、広島県の八ツ塚 実(やつづか みのる)先生等の著書やCDを次々と紹介したのです。それを水元校長は、見事に学びとられ、教育に反映しようとされていました。
 平成30年2月17日に、私は水元校長が当時勤務されていた宮崎市立赤江中学校で、生徒・保護者等520名を前に講演をさせていただき、その後、その講演録『時を守り 場を清め 礼を正す』を発行しました。若者がこれからの人生を送る上で常に持ち続けておかなければならないことを中心に話をしたのですが、講演後の反響も大きく講演録は5万部も増刷しました。
 また、水元校長は、「タニサケ塾」で学んだトイレ掃除の素晴らしさに感動され、自校でも「宮崎掃除に学ぶ会」に依頼をし、希望生徒、職員、学ぶ会の皆さま、約100名でトイレ掃除を実施されました。生徒たちにとってトイレ磨きが心磨きになり、心の成長につながればという願いと「学校の荒(すさ)みはトイレから」と言われる中でトイレを常に清潔に保つことを心掛けたいという思いからの実施だったそうです。
 宮崎市青少年育成センター所長となられた現在も水元さんとは数多くの情報交換をして、交流がまだ数年にもかかわらず、今では「10年の知己」を得た思いです。教育者と実業家の交流は、「教育の世界を知らない実業家」と「実業の世界を知らない教育者」の交流であり、大いに刺激があって楽しみながら学んでいます。
 日本の将来を心配しながらも、互いに若者の成長を期待し応援する「親友」でありたいと切(せつ)に願っています。(松岡 浩)

(フレッシュタニサケ2021年8月号より抜粋)

「聴く力」 (国分秀男さん談)


 春浅い早朝からの経営者対象の勉強会で、講演講師として「日本一への道」という演題で話をさせていただきました。
 最前列中央に食い入るように耳を傾(かたむ)ける青年がいました。どこかの会社の次期社長となる人かもしれないと感じる一方、「この若者は只者(だたもの)ではない!」と直感しました。もの凄く「聴(き)く力」を持ったその青年は、きっと将来、素晴らしい経営者になると予感させられました。
 講演終了後、彼の出した名刺を見て驚きました。そこには「花巻東高校野球部監督・佐々木 洋」と書いてあったのです。当時は無名の野球監督で、31歳でした。
 朝6時開始のセミナーに参加するには、遅くとも5時に起床して講演会の会場に駆(か)けつけなければならない。寒い朝に眠い目をこすって勉強会に駆けつけることに只者ではないと直感した次第です。
 その3か月後、私の予想通り夏の甲子園大会「岩手県予選」で優勝し、監督として初の甲子園出場を果たすのです。さらに、その4年後、平成21年には「岩手から日本一へ」のキャッチフレーズを室内練習場に掲げ、現在、シアトルマリナーズで活躍中の菊池雄星投手を擁して全国選抜大会で見事準優勝を果たしたのです。
 花巻東高校といえば、もう一人強烈に印象に残る生徒がいます。平成24年の文化講演会に招かれ「夢を叶(かな)える」の演題で話をした時でした。先生と生徒で約千人の体育館は超満員でした。
 指導がよく行き届いている様子で、全員が真剣に耳を傾けてくれましたが、どうしても一人の生徒の「聴く力」に惹(ひ)き付けられて、そこに顔が何度も向いてしまうのです。背筋を伸ばし、うなずきながら聴く姿を見せていたのは今や大リーグで大活躍中の大谷翔平(しょうへい)選手でした。100校近くの学校で講演させていただいていますが、個人的には“ナンバーワンの聴く力”を持った生徒でした。
 彼は高校3年生でしたが、驕(おご)った様子は微塵(みじん)もなく、爽(さわ)やかな眼で食い入るように聴く姿は、佐々木監督との初対面の時と同様に「只者でない」と感じさせるのに充分でした。その後、稀有(けう)の“二刀流選手”として大活躍のニュースを見るたびに「素直に人の話に耳を傾(かたむ)け、それを自分の生活に素直に取り入れる」彼の成長ぶりには、只々驚くばかりです。 (以下略)

 国分秀男さんは元 古川商高女子バレーボール部監督、元 東北福祉大学特任教授です。

 私の親友の国分先生は、全国大会優勝を通算10回達成されています。その達人の国分先生は、壇上から多くの聴衆者の中で大谷翔平選手を見つけられました。
 「類は友を呼ぶ」の証明でしょうか。すばらしいです。(松岡 浩)

(フレッシュタニサケ2021年7月号より抜粋)

校長よ、君、規則たれ


 ある小学校で「掃除に学ぶ会」がありました。その時に参加していた他校の2人の若い先生が、「私の学校でもトイレを磨きたい」と「掃除に学ぶ会」の開催を希望されたので日程を決めました。ところが、予定日の2日前、申し訳なさそうに「参加者は私たち2人だけです」。私が「校長先生はどうされたのですか」と訊(たず)ねると、「自由参加と申しましたので参加されません」とのこと。私は二の句が継(つ)げませんでした。
 勤務する小学校の子供たちのためにトイレを磨く、という若い先生の「高い志」を踏みにじる、言葉を換えれば「芽を出そう」とする先生の芽をつむ校長に強い憤(いきどお)りを感じました。そして、日頃「子供の芽を育てよう」と唱える校長の声が空(むな)しく聞こえました。
 もちろん、当日の「掃除の会」は、若い先生の芽をつんではいけないと仲間に呼びかけ、燃えに燃えて、いつもよりピカピカにトイレを磨き上げました。
 この頼りない校長は、おそらく頭の偏差値は高いけれども、「使命感」「倫理観」が欠落しているのでしょう。「倫理観」のことを長野県の毛涯章平(けがいしょうへい)先生は、「倫理指数」(心の知能指数、豊かな人間性)と表現されています。
 教育には2面あります。第1は自己に対する教育、第2は他人に対する教育で、力の配分でいけば、これも私の主張ですが、自己に9割の教育、他へは1割です。いってみれば、自己の学んだおこぼれを他人に与えることではないでしょうか。実に教育は大変なものと、最近つくづく感じています。
 森 信三先生の名言「教育とは流水に文字を書くように、はかない業(わざ)である。だが、それを巌壁(がんぺき)に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」。芦田恵之助(あしだえのすけ)先生は「他を教育するには、自己を教育するよりほかはない。これが1番の近道」と、言われました。
 明治7年(1874年)、西郷隆盛が創設した私学校の校長になった篠原国幹(しのはらくにとも)から「学校の規則は、いかがしもうそうかい」と尋(たず)ねられた時、西郷は「貴君が規則になりたまえ」と答えたそうです。それは、規則など作る必要はない、校長が模範を示せばよいという意味です。「校長よ、君(きみ)、規則たれ」。なんと含蓄(がんちく)に富む言葉でしょうか。

(フレッシュタニサケ2021年6月号より抜粋)

鍵山さんの流儀


 数年前、(株)イエローハットの創業者の鍵山秀三郎さんを訪ねました。私の愛知県の友人が職場の人間関係での心労で休職していたので、その相談を鍵山さんにするため、この友人と一緒に上京したのです。前もってお願いをしていたので、あるホテルで昼食をご馳走になりながら面談を受けました。
 鍵山さんから具体的な実践例を交えての真摯(しんし)なアドバイスをいただいたことで、友人は元気になり、悩みも解消でき、「早い時期に職場に復帰する」と、明るく答えてくれました。
 翌日、鍵山さんから私宛に届いたハガキには「三人でもう一度食事会をしましょう」とありました。ご馳走になったホテルの食事が「塩辛かった」ということを鍵山さんは気にされていたのです。
 私は「もう充分です。ご好意には本当に感謝しています。友人もアドバイスをいただいたことに、とても感謝し、職場に戻ると言っています」と書いて鍵山さんにお礼のハガキを出しました。
 二日後、鍵山さんから「今回の出来事を踏み台にして新たな出発をしてくだされば、ご本人はもちろんのこと国家にも有益であると確信しています。つきましては新たな門出を祝して会食の機会を作っていただきたく存じます。
先般の場があまりにお粗末(そまつ)であり、私も気にかかっておりますので、ちょうどよいかと勝手に思っております。今月の二十六日から二十八日までの三日の間で、もしご両人のご都合がよろしければ昼食のご用意をさせていただきます。(一部抜粋)」との封書が届きました。
 あれだけ多くの貴重な時間をかけ、ご指導とお世話をしてくださりながら、まだ「情(なさけ)」をかけてくださる鍵山さんの流儀(りゅうぎ)、これ以上はないという「無上意(むじょうい)」のお心遣(づか)いにとても感激をしました。そして、会食の具体的な日時と用件を記(しる)したお便りを拝読して、鍵山さんには全く社交辞令がないということに改めて感心しました。
 私の予測を遥(はる)かに上回る鍵山さんの恕(おもいやり)は、大きな大きな学びとなって、また、ひとつ成長させていただきました。
 「人生の師」鍵山さんには感謝でいっぱいです。

松岡 浩の小冊子「大感謝」より


(フレッシュタニサケ2021年5月号より抜粋)

子を養いて教えざるは父の過ちなり


 子育てのヒントをお伝えします。「子を養いて教えざるは父の過(あやま)ちなり」。父の部分は母と受け取ってもらっても結構です。続いて「訓(おし)えて導くこと厳(げん)ならざるは師の怠(おこた)りなり」。訓えては教えて、厳は、ゆるがせにしない、いい加減にしないということです。
 この教訓の正しさが実感できる話を長野県の小中学校で長年教鞭(きょうべん)を執(と)られた毛涯章平(けがいしょうへい)先生から教えていただきました。

 その少年の名前を篠崎といいます。六年生の篠崎少年は、運動会で白の大将になって騎馬(きば)帽子取りを行いました。篠崎少年の白は終わりの合図が鳴った時にはほとんど取られてしまって、ほんの二・三騎しか残っていなかった。ところが赤を見るとまだいっぱい馬が残っていた。分かれて自分の陣地にもどらないといけないわけでありますが、篠崎少年は無性に悔(くや)しくて、自分の乗っている騎馬を返し、意気揚々として陣地に引き上げていく敵の大将を追いかけて、後ろからその帽子を取ってしまったのです。そして、篠崎少年は味方の陣地に帰ってきた。
 見物人は、ヤンヤの喝采(かっさい)。大笑い。おもしろかったのでしょう。その時です。観衆の中から粗末な着物を着たお母さんが草履(ぞうり)を履いて飛び出してきて、篠崎少年を騎馬から引きずり降ろした。そして、声涙(せいるい)ともに下(くだ)る折檻(せっかん)をしました。声涙というのは声と涙ですね。「おまえのその負け方は何だ。お母さんは負けたことを咎(とが)めているのではない。その負け方は男らしくない」と、涙を流して叱ったのです。
 やがて40年経(た)ちました。昭和20年に敗戦になって、本土の部隊は全部自分の持っている武器を出して降伏(こうふく)した。つまり武装解除であります。丸腰になって進駐軍を迎えたわけであります。その頃には血気盛んな兵隊さんたちがいまして、絶対負けるはずがない、日本が負けたなんて承知できるか、日本に上陸して来た進駐軍に一矢報(いっしむく)いて自決(じけつ)しようと決意した人がいっぱいいました。
 特に鹿児島の海軍航空隊では特攻隊の人たちでありますから、素直に武器だけ出して「参りました」と言える人たちではなかったわけです。ところが、その航空隊だけは実に立派に武装解除して整然と進駐軍を迎えた。その航空隊の司令官が篠崎少年でした。篠崎司令官が部下をなだめて、実に見事な負け方をしたのです。
 司令官はやがて復員して、自分の実家に帰って、先ず第一にお母さんの今は苔(こけ)むした墓の前にひざまずいて「お母さん、見てくれましたか。私の負け方を。少年の頃の教えのとおりにいたしました」と、報告をしています。これは、お母さんが、教えざるは父の過ちなり、厳ならざるは師の怠りなり、という言葉そのままの教育をしたたまものであります。

松岡 浩の講演録 「重心を低くして生きる」(絶版)より


(フレッシュタニサケ2021年4月号より抜粋)

愛することへの道


 「清明正直(せいめいせいちょく)」という言葉があります。「清く」「明るく」「正しく」
「直(なお)く」。「清明正直」とは、清らかで明るくて、正しく直き心です。
「人道さわやかなり」というのは、「清明正直」ということですね。
これとは違う世界が、ああなりたい、こうなりたいという勝手気ままに思い、言いたいことを言い、やりたいことをやるという心です。
 今、こういう思いが増えた結果、世間ではもめごとが多くなっています。どんなことにも、必ず賛成・反対ができます。消費税も賛成・反対ができるし、さまざまな問題に賛成・反対ができる。立場が違えば意見が違う。どうしてこんなに心を二分にするようなことばかり起きるのかと思いますね。
 しかし、こういうことが起こっている今、二つに分かれることで、お互いにもっと深く知り合いなさいと、天が言っているように思うのです。
 「知ることの深さは愛することへの道」だからです。
 両方に分かれて争っているうちに、あるところまでいくと、相手のことをよく知ることになる。ですから天が二つに分けて「こうしていると知ることが深くなるよ、一緒に考えてごらん」と問いかけているわけです。(以下略)
 知ることを深めていくと、愛することへの道につながります。
 思いをぶつけあうことで、ほんものがでてくるのです。

修養団 元伊勢道場長 中山靖雄さんの著書
『すべては、今のためにあったこと』より

 上記のことを会社経営に当てはめて考えると、人は生まれも育ちも違います。それぞれの人が集まり、会社を運営していくのですから、なかなかまとまりません。お互いに時間をかけて議論をし、一方の言い分を聞いて実践し、ある程度の時間をおいて、もう一方の言い分を聞いて実践をする。その両方の結果で判断してはどうでしょうか。思いをぶつけあうことで、ほんものがでてくるのです。
 参考までに、
「百聞は一見にしかず」(何回も話を聞くよりも自分で一度見てみたほうがよい)
「百見は一考にしかず」(何度も見に行くよりも自分で一度考えたほうがよい)
「百考は一行にしかず」(何度も考えるよりも自分で一度動いてみたほうがよい)
「百行は一果にしかず」(何度動いてみても、結果を出してこそ意義がある)

(故事成語より)


(フレッシュタニサケ2021年3月号より抜粋)

「読書の力」 (国分秀男さん談)


 平成2年の正月、某テレビ局の特別番組で高校野球界の名将、徳島県立池田高等学校野球部の蔦(つた) 文也監督と対談させていただきました。蔦監督は“さわやかイレブン”と言われた選手たちを引き連れて甲子園の全国大会で準優勝を果たし、その後、昭和57年の夏と昭和58年の春に連続優勝の偉業を成し遂げた名指導者です。人口僅(わず)か2万人ほどの小さな町の公立高校の快挙は、全国の野球ファンを魅了しました。
 対談前、二人きりになった時、まだ国民体育大会等で3度しか優勝経験のない私に蔦監督は、「勝ち続けたかったら、武将の本を読め、歴史の本を読め」と、熱く指導してくださいました。すぐにそのアドバイスを受け入れ、『坂の上の雲』『管仲(かんちゅう)』『楽毅(がっき)』などの本を読み続けました。
 その年の夏、私の町・宮城県古川市でインターハイ(全国高校総体)のバレーボールが開催されました。地元期待の競技として強烈なプレッシャーを感じていました。超満員の体育館での決勝戦でしたが、これまでになく冷静に采配(さいはい)を振ることができ、インターハイでの初優勝を実現しました。
 以前、モントリオール・オリンピック女子バレーボールの優勝監督、山田重雄氏からも「スポーツ界の本ばかり読まないで、経済誌も読め。スポーツ界では、諦(あきら)めずにがんばれば何度でもチャンスが訪れるが、経済界の人たちは一度倒産したら、なかなか這(は)いあがれない。その厳(きび)しさが経済人を磨いている。だから経済界には素晴らしい人物が多いのだ」と言われました。
 「本」との出会いが人生を変えることは本当です。「夢」を叶えるためには、身体の力(健康)と心の力(考え方)が必要です。そして、心に力をつけるには、読書は欠かせないと確信しています。肉体を養うために、毎日の食事が必要なように、心の力をつけるためには読書は欠かせないと強く思うのです。(以下略)

国分秀男さんは元古川商高女子バレーボール部監督、元東北福祉大学特任教授です。

 私の親友の国分先生は、歴史小説も読んでいるが、経済誌を読むことも大切であると聞かれ、素直に学ばれて人間力を養い、全国大会優勝は通算10回を達成されました。
 将棋界の棋聖になった藤井聡太さんのことも国分先生が教えてくださいました。
 藤井棋聖の趣味は読書で、『僥倖(ぎょうこう)』『節目(せつもく)』『初戴冠(はつたいかん)』『探究(たんきゅう)』などの難解な言葉を記者会見で連発され、その「読書力の高さ」に驚いた、と。
 私も遅蒔(おそま)きながら読書は「生きる力」になると確信しました。


(フレッシュタニサケ2021年2月号より抜粋)

母よりの年賀状 [今から63年前のことです]


 天草の正月もまた、母を通じて、私の心の中に一つの風景を残している。それは、私が中学3年生で、高校受験を間近に控えた頃のことで、私は先生の勧(すす)めもあって、他の二人の友人と共に、天草島(あまくさじま)を離れ、熊本市内の高校を受験することを目標にがんばっていた。
 市内の高校に行くことになれば、下宿が必要で、そのために要する費用は大変なものであった。8人の子供を抱(かか)えた五反農家の父母には、到底(とうてい)そのような余裕などなかったのである。それでも父母は何とかして、私を希望通りの高校に進学させようと、いろいろ努力したようであるが、やはり、無理だったのである。12月のある寒い夜、父は私を囲炉裏(いろり)の端(はし)に座(すわ)らせ、市内の高校をあきらめて、地元の高校に進学してほしいと言った。私は、泣きながら父の「甲斐性(かいしょう)の無さ」を大声でののしった。
 日頃、厳しい父も、その時は無言で何かをかみしめているようであった。母は何かを頼(たの)むような目で私をじっと見つめ、その目には涙が光っていた。しかし、私は、消えかけた囲炉裏の火を見つめながら、父母をののしり続けたのであった。
 勉強もせず、家族にも口をきかない日が続いて、そのため、家の中は毎日、何となく重苦しい日が続いていた。そして、年が明け、元旦となった。私は、家族全員で毎年行う初詣(はつもうで)にも参加せず、一人で布団(ふとん)をかぶって寝ていたのであった。
 朝、目を覚(さ)ますと、枕元に5、6枚の年賀状が置いてあった。私は床の中で何気(なにげ)なくそれを手にし、たいした感情もなく、1枚ずつそれをめくっていった。
 しかし、最後の1枚を読みながら、私は驚いた。それは、およそ、年賀状らしくない長々しいものであり、鉛筆書きで、ところどころ、なめたらしい濃い部分が残りカタカナまじりで書かれていた。差出人の名前はなかったが、私にはそれが、同じ家に住む母からのものであることは、すぐに分かった。
 「お前に、明けましておめでとうと言うのはつらい。でも、母さんはお前が元旦に、みんなの前で笑いながら、おめでとうと言ってくれる夢を何回も見ました。母さんは、小さい頃、お前が泣き出すと、子守唄(こもりうた)を唄(うた)って泣き止(や)ませましたが、今はもうお前に唄ってやる子守唄もないので、本当に困っています。今度は、お前が母さんに親守唄を唄ってほしい」。
 14歳の私は、元旦の床の中で声をあげて泣いた。それは、中学3年生の反抗期の私に対する母の心からの子守唄であったのである。(以下略)

(㈱イエローハット創業者、鍵山秀三郎さんからお聞きした荒木忠夫さんのお話です)


(フレッシュタニサケ2021年1月号より抜粋)

気骨


 以前から、日本の社会を見ていて感じることがあります。
 「血税」という言葉がありますが、タニサケでは、おかげさまで毎年、たくさんの税金を納めさせていただいております。その税金は、35名の社員すべての努力と汗の結晶です。
 社員の中には、家計のためにたいへんな時間のやりくりをしながら働いている人もいます。そうして生み出された会社のお金を無駄にはしまいと、私たち経営陣も黒塗りの高級乗用車を使用せず、ゴルフもせず、社交団体にも入らず、極力接待費を切り詰めています。
 そんな「爪に火を点す」ような経営努力の末に納めた「血税」が、一部とはいえ、あまりにお粗末な使い方をされている現実に私は強い憤りを感じています。
 もちろん、住民のために全力投球してくれている誠実な公務員の方もおられますが、全体的には「気骨」のない公人が増えてきたような感じがしています。
 「気骨」とは、自分の信念に忠実で、どんな苦難や誘惑にも容易には屈しない固い心意気のことです。
 私が若いころに「人生の師」と仰いだ、大阪の老舗材木店の故・伊奈岡芳次社長は、余人にはない気骨を持った、筋金入りの商人でした。多くの教えを受けた中でも「商人は負けるが勝ち。口論で負けても、品物を買ってもらえれば勝ち」「大阪の商売人のど根性とは、あらゆる苦難に耐えて生きる精神力や」といった教えが特に印象に残っています。一本筋の通った伊奈岡社長の生き方は、私のお手本であり、憧れでもありました。少しでもこの「師」に近づきたいと、もがき続ける中で、私は伊奈岡社長のような「気骨」を持つには、つらいことや苦手なことを進んで、やり続けなければいけないのだと気付きました。
 そこで、平成5年のある日から、私は毎日欠かさず、会社のトイレ掃除を始めたのです。今はトイレ掃除を社員の方に譲って、会社周辺のゴミ拾いを行なっています。それが憧れの人に近づく道と信じ続けています。つらいことや苦しいことから逃げずに続けたことで、心は強くなり、他人を思いやる心の余裕や謙虚さも生まれてきました。
 今や日本は世界で上位の経済大国になり、国民は物質的に豊かな生活を享受しています。しかし、一方、便利で楽な生活は日本人を骨抜きにし、人のためより自分のため、そして「公」を軽んじ「私」を最優先とする、自己中心的な人間が世に溢れるようになりました。昨今の数多くの不祥事や凶悪事件は、こうしたひずみが表面化したものだと言えるでしょう。


(フレッシュタニサケ2020年12月号より抜粋)

朝10分間の凡事の実践を


 よい人生を送ろうと思ったら、平凡なことでいいですから、毎日、人より少しだけ多くの努力をすることです。ごく些細(ささい)で平凡な行動でよいのです。大切なのは、“やり続けることです。
 「一度思い立ったら、石にかじりついてもやり続ける決意」と教育哲学者・森 信三先生は喝破(かっぱ)されています。
 特に、上の立場の者がいったん始めたことをいい加減にやめてしまったら、部下の信用を失います。例えば、社長が「トイレ掃除がいい」と聞いて早速やり始めたとします。それを社員さんは「まあ、一週間でやめるだろうな」と想定しながら横目で見ています。もし、そのとおり、社長がやめてしまったら、「ああ、やっぱり、あの社長は何をやってもダメなんだ」という悪い印象を社員さんの心に植え付ける結果となるのです。
 では、どうしたら平凡なことをやり続けられるのか。その秘訣は、「打算を持たずにやる」ことにあります。「周囲にいいところを見せてやろう」とか「社内に掃除の習慣を根付かせたい」などと思わないで行うのです。下へ下へと根を張れば、いつか必ず大きな花が咲きます。ただひたすらに根を張ることが大切なのです。
 鍵山秀三郎さんにお会いする前のことですが、ある時、ふと気付いた私は、何とか体を使って社員さんを喜ばせようと、誰よりも早く出社して、ゴミ箱を洗い始めました。そうして1年ほどたったころです。女性の事務員さんが事務所内に10個あるゴミ箱のゴミを捨て、一か所に集めてから退社するようになったのです。おかげで翌朝の掃除がだいぶ楽になりました。
 決して、私が頼んだわけでも、やってほしそうに振る舞ったわけでもありません。社員さんが気付いてやってくれたのです。私はこの時、「陰徳(いんとく)を積む」こと、隠れて人を喜ばせることの大切さに気付きました。
 「よし、自分も明日から何かやろう」と決心した方は、今日が人生を変えるスタートです。いきなりトイレ掃除でなくてもよいのです。例えば、明日の朝は10分早く出社してみましょう。そして、まずその10分間を「人を喜ばす」ために使うことです。ゴミ箱洗いでも、玄関の掃き掃除でもいいのです。大事なのは、「石にかじりついても」の決意でやり続けることです。
 そうすれば、いつか必ずあなたの人生に、会社に、大きな花が咲くはずです。


(フレッシュタニサケ2020年11月号より抜粋)

下村湖人先生に学ぶ  『青年の思索のために』より

・人生は散歩
 誰かの言葉に、「人生は散歩のようなものだ」というのがあります。これは解(かい)しようによっては人生をばかにした言葉のようにも思えますが、実はそうではありません。つまり「散歩はその一歩一歩に大きな意味がある 。同様に、人生も現在の一瞬一瞬、一日一日が大切で、充実した一瞬一瞬、充実した一日一日のつながりが、充実した一生になる」という意味なのであります。
 むろん、一生をどう過(す)ごすかということを絶(た)えず考えていることも大切ではあります。しかし、現在の一瞬、今日の一日を充実させることを怠(おこた)って、漫然と一生のことばかり考えていても、真に意義ある人生は送れません。
 いつ死んでもいいという覚悟で、現在与えられている任務に渾身(こんしん)の努力を払い、ちょうど牛若丸が一粒一粒のご飯粒を完全なのりにねり上げたように、その任務を完全に果(は)たしていくことが大切であります。 (令和2年「フレッシュタニサケ」5月号参照)
 茶道に「一期(ご)一会(え)」という言葉があり、論語に「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可(か)なり」とありますのも、おそらくこの気持ちに通ずるものがありましょう。

・ある外科医

 自分が手を下した手術後10年も20年もたってから、もとの患者の家を訪ねて歩いた外科(げか)医が日本にいたそうである。これほどの良心の確(たし)かさが、医者だけでなく、せめては政治家や教育家の幾人かにあってほしいものである。

・成り上がり者とは

 自分の掛ける椅子(いす)が大きく高くなればなるほど、自分の姿が小さく見えるという平凡な事実を知らないで、急に大きく高くなった椅子の上でだけ、自分の存在を示そうとする人、そういう人を成り上がり者というのである。


 何とすばらしい教えでしょうか。「人生は散歩」には、充実した一生となるヒントがあり、「ある外科医」からは、誠に生きるお手本を感じました。そして、「成り上がり者とは」からは、自分の甘さを痛感させられました。
 あらためて、今は亡き、下村湖人先生に感謝を申し上げます。


(フレッシュタニサケ2020年10月号より抜粋)

理想の会社づくり

・偉人と理想
 古来の偉人の中には、若いころから大理想を抱いていた人もありましょうが、大ていは、たとえ小さくとも、現在果たさなければならない仕事を完全に果たすことを理想とし、次々に新しい大きな理想を生み出していった人のようであります。
 福沢諭吉翁なども、決して最初から明治の先覚者として新文明の指導者になろうなどという大理想を抱いていたのではなく、『福翁自伝』にありますように、最初は、新しい時世の変化に応じて「衣食さえできれば大願成就と思っていた」のであります。そして、それに必要な努力を自分の境遇に応じて積んでいるうちに、それがいろいろな著書となり、教育活動がともなって、ついに「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」というあの思想を打ち出し、真っ向から封建思想と戦って、明治の新文明の基礎を作ることに自分の使命を見出すようになったのであります。
 そこで、青年時代に高遠な理想を抱くことも決して悪いことではありませんが、それよりも大切なことは、自分の現在の境遇に応じ、現に当面している仕事と一枚になる修業をすることだと思います。


(下村湖人著『青年の思索のために』より)

 私が尊敬した㈱カスミの創業者、故・神林照雄さんから「高遠なる理想、平凡なる実行」との教訓を与えていただきました。フランスの作家、アンドレ・ジッドは「平凡なるなかに、非凡が生まれる」と書いています。高い志の実現のためには日々の小さな努力を積み重ねることが大切だということです。
 たとえば、いい会社を創ろうと思い社員の皆様を叱咤激励して、「やらせる仕事」を重ねても、なかなか会社はよくなりません。むしろ、上司が下座に降りて社員さんの嫌がる仕事を引き受け、やり続けることによって社員さんが感化され会社がよくなります。
 多くの成功者は初めから名経営者ではありません。社員さんを大切にし、コツコツと努力をした結果、土台のあるしっかりとした会社になっていくのです。それには、経営者の凡事徹底の覚悟が必要です。まずは、早朝の出社、先手の挨拶、目の前の仕事を全力で行う、そして社員さんへの気配り・心配りを常に意識しましょう。理想の会社づくりには長い年月を要します。
 最後に、国民教育の師父と称される森 信三先生の言葉を紹介します。
「人間下座の経験のない者は、まだ試験済みの人間とは言えない」


(フレッシュタニサケ2020年9月号より抜粋)

少年たちの背中

 四国の徳島県に池田高校という野球の強い学校があります。10数年前になりますが、少ない部員で四国の代表になり、甲子園で「さわやか旋風」と報道され、大活躍を演じたチームです。その野球部を鍛えていたのは蔦 文也監督でした。
 野球部に新入生が入ってくると、蔦さんが最初にやらせたことは、ボールを握らせるのでも、バットを持たせるのでもない。生徒を一列に並べて、ひたすらに草を取らせることでした。
 蔦さんは言うのです。
 「野球部に入ってくる1年生を横に並べ、グラウンドの草取りをさせる。顔も見ないし名前も聞かない。ただ黙々と草を取らせる。生徒の後ろに立って、作業しているその背中を見ると、その生徒は家庭でどんなしつけを受けてきたか。小学校や中学校でどんな学習態度であったか。それが全部背中に書いてある。
 しばらく草取りをやらせていると、やがてこの生徒は主将になる、この生徒はピンチに強いであろうという資質が読み取れる。この判断はほとんど間違っていない」と。
 15歳の少年たちの背中に、15年間の家庭や地域でのそれぞれの出会いの歴史を読み取って、個々に応じた鍛え方をされた蔦監督の教育哲学が陰にあってこそ、当時の大活躍が生まれたのだと思います。
 1982年夏。初めて池田高校は優勝しました。蔦監督就任31年目の快挙。選手たちはグラウンドで跳ね回って喜んだ。もちろん蔦監督も踊り上がりたい気持ちだったでしょう。しかし、監督の口をついて出た選手たちへの言葉は、「もう、それぐらいにせえ。それ以上は相手に失礼だ」だったそうです。

 いくたびか敗者になった経験からにじみ出てきた監督の心なのでしょうね。
--この事例は、一人の卓越した指導者が、部活動を通じて、学校の中に、生徒たちの心の真のあり場所づくりを実践した好例と思います。このほか、子供を取り巻く家庭や地域社会でも、琴線にふれる心の糸を紡ぎたいものです。

平成10年、タニサケ発行の小冊子、群馬県、坂西輝雄先生の
「今、こころの時代に」(絶版)より

※ 1974年のセンバツ大会では、池田高校はわずか11人の選手で準優勝し
「さわやかイレブン」と呼ばれ大人気でした。


(フレッシュタニサケ2020年8月号より抜粋)

教育とは流水に文字を書くようなもの

 凡事を徹底するのは難しい。その要諦は、3つに大別されると思います。
 第1は、「打算を持ち込まない」こと。当然ながら、掃除は儲けるために行うわけではありません。誰かに評価されるためでもない。もし、そういう打算が隠れていたら、不思議なもので、掃除という行為そのものが一気に卑しくなります。本当に不思議なのですが、妙な下心を潜ませている人は、身体中から卑しさがにじみ出てくる。そもそも、打算に支えられた掃除は長続きしないでしょう。(中略)
 第2は、「始める勇気を持つ」こと。いかによいことも、誰かが最初の一歩を踏み出さない限り、何の意味も持ちません。以前読んだ本に、印象深いエピソードが載っていました。何世かの市川團十郎が、若い弟子を連れて停車場で汽車を待っていると、屈強な男たちが寄ってたかって荷物を満載した貨車を押していたそうです。やがて、そろそろと貨車が動き始めると男たちは去って、残った一人が楽々と貨車を押していった。
 「あれをごらん。最初はたくさんの力が必要だが、いったん動き始めたら、あんな重い貨車だって一人で動かせる」と。團十郎は、弟子に振り返ってそう言ったといいます。挑戦を恐れない勇気の大切さを弟子に覚らせたかったのでしょう。会社において第一歩を踏み出すのは、ほかでもない経営者です。
 第3は、「続ける根気を持つ」こと。掃除をすれば売り上げが上がるわけでも、事務所がきれいになった日から従業員が生まれ変わるわけでもありません。毎日、どれほどつらい思いで掃除を続けていても、表面上は何も報われず、何も変わらない。それでも続けるのです。続けることによってのみ、凡事は非凡に変わります。
 ただ、言うは易しで、どんなに意志の強固な人でも挫折の危機は何回となく訪れるでしょう。特に、私が経験したように従業員の心に響かない間は徒労感に襲われますが、啓豪的教育者として知られる森 信三先生(1896~1992年)は、教育についてこう話していらっしゃいます。
 「教育とは、流水に文字を書くような果てない業である。だが、それを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならない」。
 この言葉を知ったとき、私は身の震えるような感激を覚えたものです。(以下略)

『大きな努力で、小さな成果を』鍵山秀三郎著より。㈱育鵬社発行

※(残った一人が楽々と貨車を押していった)。この文章に感動をしました。


(フレッシュタニサケ2020年7月号より抜粋)

苦しみが人間の輝きをつくる

 「苦しみが人間の輝きをつくる」という言葉は、元兵庫県八鹿(ようか)町立青溪(せいけい)中学校長であられた渡辺武一先生が遺(のこ)された言葉です。歴史に名を残されたような、すぐれた偉人の生(お)い立ちを調べてみると、多くの人が貧しさの中で育ち、さまざまな苦労を体験することで人間として鍛(きた)え上られた方々であることが分かります。
 あなた方は、恵(めぐ)まれた環境の中で何不自由なく育ってきました。
ちょっと考えると、たいへん結構なことのようですが、それが本当に幸せな生涯につながるかどうかということになると、簡単には言えないところに人生の難(むつか)しさがあるようです。
 東井義雄先生は「教育にとっては、貧しさよりは豊かさの方が恐ろしい」と、おっしゃっていますが、これは一つの大切な真理だと思うのです。なぜかというと、何不自由ない生活は、人間を甘えん坊にし、自分の頭で考えることを少なくさせるからです。
 京都大学総長をされた平澤 興(ひらさわ こう)先生は「野良猫(のらねこ)の脳と飼い猫の脳では、どちらの脳が重いか(よく発達しているか)」と問いかけておられます。賢いみんなのことだから、すぐに正解は分かりますね。同時にその理由も言えるでしょう。
 そうです。時には人間以上のご馳走(ごちそう)を与えてもらえる飼い猫は、餌を手にいれるために、何の苦労もありません。待っていれば食べ物は充分に与えられるのです。気にいらなければ、そっぽを向いたってよいのです。
 しかし、野良猫は、そうはいきません。人目を盗んで、台所や店先から食べ物を掻(か)っ払(ぱら)い、ゴミ袋から食べられるものを探し、飢えに迫(せま)られれば、カエルや蛇(へび)を捕(つか)まえることだってするのです。さまざまな工夫を凝(こ)らし、時には命を懸(か)けて生きるための戦いもするのです。頭脳(ずのう)が発達しないわけがありません。努力と工夫を重ねなければ生きていくことができないからです。人間も同じことです。貧しさの中で生きる工夫をし、苦労に鍛えられて人格を磨くのです。(中略)
 教育にとっては、貧しさよりも、むしろ豊かさのほうが恐ろしいのです。(以下略)

平成19年、タニサケ発行の小冊子、村上信幸先生の
「ほんものはつづく つづけるとほんものになる」
―東井義雄伝―より

※「苦しみが人間の輝きをつくる」を信じて、お互いに努力をしたいものです。


(フレッシュタニサケ2020年6月号より抜粋)

牛若流と弁慶流

 ある日のこと、母は外へ遊びに行こうとする私を呼びとめて、「今日はお前に面白いお話をしてあげるから、お座(すわ)り」という。何ごとかと内心少しびくびくしながら聞いていますと、「昔、牛若丸と弁慶が、ご飯を二人で等分に分けて、それをどちらが早く『のり』に練(ね)りあげるか競争をしよう、ということになりました。そこで、牛若丸は早速『のりおし板』と『竹べら』とを持ってきて、一粒一粒、丁寧にご飯粒(つぶ)を練り始めましたが、弁慶の方は、広い板の上に一度に自分のご飯をあけ、その上に一本の大きな鉄の棒を横たえて、それを両手で力まかせに転(ころ)がし始めたのです。
 しばらくたつと、牛若丸はまだちょっぴりしか『のり』になっていないのに、弁慶の方のご飯は、もう大方『のり』になってしまっています。誰が見ても弁慶の方が勝ちのように見えました。ところが、それからあとはいつまでたっても、弁慶の方の『のり』の中にはつぶつぶのご飯が方々(ほうぼう)に残っていて、なかなか立派な『のり』にはなりません。その間に、牛若丸は、にこにこ笑いながら、一粒残らず、見事な『のり』に仕上げてしまったそうです。
 お前の勉強も、牛若丸のようでなくてはなりません。一字一字、一行一行を念入りに読んで初めて全体が分かるのです。お前のこれまでの勉強の仕方は、弁慶が『のり』を練るのと同じです。そんな乱暴な勉強の仕方を一生続けても、お前は決して立派な人間にはならないでしょう」と。
 母のこの教訓は、かなり強く私の胸にこたえました。そして、それからは、私もいくらか念入りな勉強をするようになり、成人してからも何かにつけそれを思い出し、怠(おこた)りがちな日々のつとめを疎(おろそ)かにしないように気をつけています。
(下村湖人著『青年の思索(しさく)のために』より)
 弁慶流は、仕事は速いが雑な出来栄(ば)えに終わる人です。反対に牛若流は、時間はかかるが丁寧に仕事をして終える人です。時と場合によって違いますが、基本は与えられた仕事を丁寧に行う牛若流にあります。熟練して、その道の「奥義(おうぎ)」に達する人がいます。そういう人を「練達」といいます。
 名言「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(キリスト教の使徒、パウロの言葉)を心に刻んでいます。


(フレッシュタニサケ2020年5月号より抜粋)

仕事を拝む

 仕事に関して、われわれのよく聞く訓話の中に「仕事を使え、仕事に使われるな」という言葉があります。これは、いうまでもなく、いつも仕事に追いまわされて、自主的に、落ちついた気持ちで仕事を処理していくことのできない人を戒めた言葉でありまして、その意味では、決して無用ではありません。とりわけ繁雑な事務にたずさわっている人たちにとっては、充分味わってみるだけの価値のある言葉だといえましょう。
 しかし、私にいわせると、かような表現の中には、仕事というものの考え方の不純さが暴露されており、その点からいっても、最上の言葉とはいえないと思います。われわれは、仕事というものに対して、もっとつつしみ深くなければなりません。仕事は、われわれにとって生きる手段でなくて、目的であります。仕事を「使って」われわれが生きるのでなく、仕事に仕えてわれわれは生きるのであります。
 そう考えて仕事に従事してこそ、その仕事に真の輝きが出るのでありましょうし、だからこそ、われわれの生命に輝きが出るのでありましょう。
 そこで、これは、私のいつもいうことですが、どんな仕事に従事している人でも、自分の仕事に拝む心をもつことが大切だと思います。仕事を拝む心、それはやがて神を拝み、神の大事業に参加する心であります。利害を超越し、世評にわずらわされず、一日一日をただひたすらに「仕事の祭壇」に奉仕して悔いざる心、これこそ人間をあらゆる職場において偉大ならしむ唯一至高の道ではありますまいか。


(下村湖人著「青年の思索のために」より)

 私は76歳になります。神から与えられた今の仕事に感謝して、ようやく「仕事を拝む心」という言葉を少しだけ分かる気がしてきました。
 今後は賜った仕事を今以上に大切にし、好きになり、仕事に喜んでもらえているかを感知して行動します。そのためには明るさと笑顔も意識して、仕事場をピカピカに磨き上げます。一人ではできないので、社員さんに協力をお願いして邁進をします。そして、共に働いて「人から喜ばれる人物になる」ことを全社員で目指したいものです。


(フレッシュタニサケ2020年4月号より抜粋)

親と子の関わり合いに感動

 私の長男は敏雄といって、今高校の3年生ですが、その子供がたしか小学校の3年生か4年生のときです。
 1月末の粉雪が散(ち)らつく寒い夕方でしたが、私が外出先から帰宅をしたら、仏壇の前に家内が5、6百円ほどの小銭を上げておいたうちから、2百円ほど取って子供が買喰(かいぐ)いをしたというのです。私は出先で、おもしろくないことがあって、少しむしゃくしゃした気持ちでいたとき、家内から「お父さん、敏雄がね」と、その話を聞かされたものですから、私も思わずカッとなって「敏雄、来い」と言っていきなり敏雄の手をひっぱって、「いいか、お前のやったことがどんなに悪いことなのか、お父さんが教えてやるからな。いいか、今からお前に水を5杯かける」と言ってしまいました。なにしろ、零度に近い寒いところですから、家内が驚いて「お父さん、敏雄が死んでしまう」と泣いて止めたのですが、私は聞きません。むりやり敏雄の服をぬがせて、パンツ1枚にしてしまいました。
 「しかしな、お前がそういう悪いことをしたのは、お前だけが悪いわけではない。そういう悪いことをさせたお父さんにも責任がある。だから、お父さんも水を5杯かぶる」と言って、私も服をぬいでパンツ1枚になって、子供を抱いて庭へ出ました。池の水を汲んで、まず私がバケツで水を5杯かぶりましたが、まるで心臓が止まるような冷たさです。ところが、目の前で私が「ザッ、ザァッ」と水をかぶっているので、その冷たい水しぶきが子供の体に跳ね返るのですが、目から涙をたらたら流しながら、その水しぶきを避(さ)けようともせず、ぶるぶる震えて立っている子供を見たとき、このときほど、この息子は俺の血を分けた大事な息子なんだと、実感をもって胸に迫(せま)ったことはありませんでした。
 平生(へいぜい)トランプをしたり、キャッチボールをして遊んでいるときも、自分の息子だと考えていたことに変わりはありませんが、私のバケツの水しぶきが自分の体に跳ね返ってくるのに、避けようとも逃げようともせず、たらたら涙を流して、じっと私を見つめている息子の顔を見たときほど、これは自分の血を分けた大事な息子なんだと心の底から実感として受け止めました。
 それから心を鬼にして、息子に3杯水をかけたら、息子はすくんでしまいました。あとの2杯は半分ぐらいにして、数だけ約束どおり5杯かぶせると、私は息子を横抱きにして風呂場へ駆け込みました。そして、乾いたタオルでごしごし息子の体をふいてやったのですが、そしたら息子がタオルのはしで私の腹をふいているのです。私は思わず息子を抱いて、男泣きをしてしまいました。それから敏雄は、間違っても、自分の金でないものには手を触れない子供になりました。


平成8年、タニサケ発行の小冊子、三輪真純先生の
「いのちの呼応による喜びの発見」(絶版)より

※ まさに、この親と子の関わり合いに感動をしました。 松岡 浩


(フレッシュタニサケ2020年3月号より抜粋)

「真心の情報を発信」

 2019年4月からの私の生活リズムが大きく変わった出来事が松岡 浩会長との関わりでした。「大阪・松岡会」の勉強会に2度も招聘いただいた事はもちろん、この8か月間に、松岡会長から届く莫大な情報量とそれへの対応に追われる日々と言っても過言ではなかったと思います。送られてきた書籍は、小冊子を含めて30冊を超え、ほぼ毎日届く「メール便」・「パンフレット・葉書の写し」のFAXでの転送等々に目を通す間も無い程の情報量でした。
 「情報社会」と言われる今日、改めて「情報」について考えてみました。各種メディアから私達に届けられる情報の質・内容について、それらが私達の暮らしにとって価値あるものかどうか? 必要なものかどうか? 有効か無効か?受け取る私達が決めることではありますが、もし発信する側の意志・意図が作用したとすれば、一体どうなるのでしょうか?
 「情報操作」と言われる意志を感じて、個人の判断以上に大きな影響を与え、そのことで世論が形成され、あるいは一定の社会風潮が形づくられることを危惧するのは私だけではありますまい。
 そんな中で、松岡会長から届く情報は価値が高く有用性に富み、質・量ともに深く考えさせられる重い内容ばかりでした。

(宮崎県椎葉村 綾部正哉先生のお便りから)



 綾部先生のお便りを拝読して、私宛の「天からの使命」に気付きました。それは、有用で価値ある「情報」を多くの方に発信し「よい国づくり」を目指すことです。
 その実践として、私宛に届く多くの情報をよく仕分けをして「人生を輝かせ、生きる力を与える紙面」を届けることを決意しました。
 もちろん、私一人ではできませんので、同志である「大阪・松岡会」の会員の皆さんらと共に「真心の情報」を集めて、縁のある方々にお届けします。
 もし、読者の方で人生のヒントや明るく楽しい情報があれば、お手紙やFAXでお知らせいただければ幸いです。
 毎月発行の社内報「フレッシュタニサケ」をお送りする際に「おまけ」と称して永年にわたり同封している紙面も、もっとレベルアップをしていきます。
 乞う、ご期待!


(フレッシュタニサケ2020年2月号より抜粋)

「理想は高く」

 どんな人間にとっても望ましいことは、できるだけ早い機会に、自分の一生の理想なり、目的なりをはっきり決めて、その理想や目的に向かって「四六時中(しろくじちゅう)」努力を集中することであります。
 理想や目的を決めるには、むろん、まず第一に自分の努力の限界を見極(みきわ)めなければなりませんし、第二に自分を取り囲んでいる、いろいろな事情、とりわけ家族その他の人間的なつながりを考慮にいれなければなりません。
 しかし、能力は鍛(きた)えれば鍛えるほど伸びるものであり、周囲の事情も、誠意と努力次第では、望む方向に打開できないとは限らないのでありますから、現在の能力や事情だけにとらわれて、理想や目的があまりに控(ひか)え目になるのも考えものであります。
 また、昔から「棒ほど願って針ほどかなう」という諺もあるぐらいで、理想や目的は、なかなか思いどおりに達せられるものではありません。ですから、常識を逸(いっ)した、笑うべき空想にならないかぎり、人間は夢を持つべきであります。自分の現在の能力や周囲の諸事情をある程度のりこえて、理想や目的をできるだけ大きく、かつ高く定めることは、決して悪いことではありません。いやそれでこそ、個人としても社会としても、その進歩発展に大きな飛躍があるわけであります。


(下村湖人著「青年の思索のために」より)



 20歳前後で社会に出ていく若者に、明確な人生目標があればいいのですが、この人生目標は一部分の人を除いてなかなか決めることはできません。現実に私自身、会社勤めのサラリーマンとなり、家庭の事情で商店経営を引き継ぎ、その後、会社を共同で設立し、今に至ります。振り返ると、運命のままに仕事に従事していたようです。ただ、どの職場でも一所懸命に汗をかいて働いていました。
 参考までに、凡人の私は、40歳のときに共同で設立した会社で初めて「高い志(こころざし)」を立てました。それは、「高齢者にとって生き甲斐(がい)のある会社」を創る、というものです。その志も年々窯(よう)変し、「全社員が嬉々(きき)として出社する人生道場」、そして、「他者中心に生き、周りの人に喜びを与える」になりました。
 「理想は高く」は大切なことですが、小さな実践目標を具体的に決め、ご自身が年々成長して自分の力量にあった理想を求め続けてください。何(いず)れにしても「世のため、人のため」という思いを強く持ち、努力を積み重ねることです。「燃える人生」を経験し、その生(い)き様(ざま)を子々孫々に伝えられる人生を目指しましょう。


(フレッシュタニサケ2020年1月号より抜粋)

遠藤 実さんの珠玉の言葉

平成8年、タニサケ発行の小冊子、三輪真純先生の「いのちの呼応による喜びの発見」(絶版)より

 テレビで作曲家、遠藤 実の一代の放映がありました。彼は昭和7年生まれで、戦争中、父親の故郷の新潟郊外に母と疎開(そかい)し、食べ物のない貧しい生活に入ったため、いろいろなもので空腹を満たしていました。ある日、タニシを拾いに行って大きなタニシを見つけました。拾おうとするとタニシはこなごなになって、その下にタニシの赤ちゃんが詰(つ)まっていたのです。わが子を育てるために母タニシは自分の肉を与え、命がつきても外敵から子を守っていたのです。遠藤少年はこのタニシに、自分の母親の姿を見たのでした。
 それまでは、やせてボロをさげた母を汚(きたな)らしいと思っていました。友達と同じように、若くてきれいな母親が欲しいと思っていたのですが、母は誰のためにボロをさげているのか……それをタニシから教わったのです。それから、遠藤少年は中学の進学を断念し、いつも慰(なぐさ)めてくれていた歌の世界に進む決心をします。旅まわりの楽団に歌手として採用され、旅の生活に入ったのですが、間もなくその楽団は解散し、彼は仲間と農村の家々を「門付(かどづ)け」して歩きます。
 その後、彼は貧苦のなかで16回も転々と職を変えることになります。ある時、決心して、農家の手伝いをやめ、昭和24年に両親にも言わず友人から貰った靴を売って旅費をつくり、ヨレヨレのズボンに底のない靴をはいて、上京して「ギター流し」をやり、遂(つい)に「夢追い人」として初志をつらぬいたということです。
 やがて彼は作曲家として名をなし、中学しか出ていない彼が作曲した「高校三年生」を当時の高校生が歌っていたのです。

遠藤 実さんの珠玉の言葉
●「汗を流して自分で勝ちとったものが一番尊い。どんな高価なものでも、他人から与えられたものにはそれだけの価値しかない」
●「貧しい中にこそ、キラキラ光る心の宝がある。豊かな中に落ちているものといえば、人がバカに見え、小さく見える眼鏡ぐらいのものだ」
●「親に孝行しろと言えば古いといい、先祖を大切にしろと言えば右翼(うよく)呼ばわりする。祖先があり親があって自分があるのだと言えば、そんなことは当たり前だという。その当たり前のことを素晴らしいと感動できる心こそ大切なのだ」
●「仕事に行(い)き詰(つ)まるのは、俺がやっているのだという思いあがりがあるからだ。他人にやらせてもらっていることに気がつけば、行き詰まるはずがない」
※ 苦悩を突き抜けると、人間として巾ができ、人生の勝利者に導く。


(フレッシュタニサケ2019年12月号より抜粋)

人の下に立つことを学ぶ

 公共のために自らを省(かえり)み、自らを責(せ)める人は、また常に心をむなしゅうしてよく人に学ぶ人であります。しかもその学ぶことは、人の上に立つ道ではなくて、人の下に立つ道でなければなりません。
 中江藤樹(なかえとうじゅ)は学問について次のように言っております。
「それ学は、人に下ることを学ぶものなり。人の父たることを学ばずして、子たることを学び、師たることを学ばずして弟子たることを学ぶ。よく人の子たるものはよく人の父となり、よく人の弟子たるものはよく人の師となる。自ら高ぶるにあらず、人より推(お)して尊ぶなり」
 いったい人間は、生まれおちるとすぐから、誰に教わらずとも、人に勝ち、人の上に立ちたいという気持ちは自然にもっているものであります。そのくせ、真に人に勝ち、人の上に立つだけの資格をそなえるようになった人は、きわめてまれであります。それはなぜかというと、人にゆずり、人の下に立つことを学ぼうとしないからであります。
 人の上に立つものは、必ずまず人の下に立つことを学ばなければなりません。それも将来、人の上に立つことを目あてにして、その手段として人の下に立つことを学んだのでは何の役にも立ちません。それでは決して人の下に立つ道は会得(えとく)されないのであります。純一無雑(じゅんいつむざつ)になって喜んで人の指図をうけ、心をむなしゅうして人に教えを乞(こ)い、一生をそれで終わっても悔(く)いないだけのつつましさがあって、はじめてそれは会得されるのであります。そして、それでこそ自然に人に推され、人の上に立つだけの資格ができるのであります。
 よく下るものはよく学び、よく学ぶものはよく進む。これが学問の法則でもあり、また処世(しょせい)の法則でもあります。そしてこれも、社会公共のために生きる心に出発してはじめてできることなのです。

(下村湖人著「青年の思索のために」より)



 「人の下に立つことを学ぶ」。私には手遅れですが、反省を込めて皆様に「下座行(げざぎょう)」に徹することをおすすめします。「下座行」とは自分の身を人よりも一段低い位置に置き、打算を持たずに体を使って人を喜ばす「行」といえます。また、物事は上から見るより下から見る方が細部までよく分かります。
 「下座行」の代表的なものはトイレ掃除です。ひざまずいて便器を磨くことで、見えない心が磨かれるようです。この「下座行」を続けることで、他人を意識して体裁(ていさい)を繕(つくろ)い、他者から自分をよく見せようとする「みえ」をも体から消し去ってくれて、多くの人々との縁ができ、なおかつ多くの気付きができ、仕事も人生も楽しむことができます。


(フレッシュタニサケ2019年11月号より抜粋)

三方よし

 モラロジー(道徳科学)の創建者、故・廣池千九郎(ひろいけちくろう)先生は、私の尊敬する人物の一人であります。「三方(さんぽう)よし」という精神を唱(とな)えていらっしゃいました。「自分もいい、相手もいい、そして周りのみんなもいい」というものです。
 私が宮崎県の教育委員会に勤務していたとき、道徳の担当でした。当時は道徳について、「己(おのれ)もよし、汝(なんじ)もよしとする人倫(じんりん)関係」「自分もいい、相手もいいと思うことを求めていきましょう」と捉(とら)えがちでした。「じゃあ、自分と相手だけの問題か。周りはそれでどうなるんだ」と思いました。廣池先生がおっしゃる「三方」ではなく「二方」での捉えかたではないか。以来、私は「三方」の重要性を県下の先生方に説(と)いて回りました。
(綾部正哉著『生涯生燃(せいねん)』 ㈱タニサケ発行より)

 私の感覚では、今の日本で「三方よし」をめざしている人は10パーセント、「二方よし」にとどまる人が20パーセント、自分だけよければよいという「一方よし」の人が70パーセントで、多くの人が自己中心です。本当に残念な日本国になってしまいました。
 この原因は日本文化の低迷であり、低俗化したテレビ番組です。これを青少年が見続けたら将来はどうなるのかという未来予測をしていないのが、現代のマスコミではないかと思います。
 テレビを利用して自社を宣伝する日本の大会社は、もっと格調高い番組をテレビ局に要請してほしいものです。
綾部先生は、以下のように呟(つぶや)かれています。
「権兵衛が種蒔(ま)きゃ烏(からす)が穿(ほじく)る」を言い回して、
敢(あ)えてマスコミ批判を!
「マスコミ」とは最大限に多くの人々(マス)の、会話・対話(コミュニケーション)が本来の意味である。果たして、現在のマスコミ報道機関はその通りの機能を発揮しているだろうか? 一面的・一方的な報道に終始するのではなく、日本の現状を憂(うれ)え、将来に危機感を抱(いだ)く人々の「声なき声」を、もっと大きく取り上げて、「権兵衛が立派な作物にと願って蒔いた種を穿り返さない」で欲しいものである。


(フレッシュタニサケ2019年10月号より抜粋)

己の善をなさんがために 人をそこなうことなかれ

 公共のために生きるには、まず第一に謙遜(けんそん)でなくてはなりません。謙遜な人は、よく人に功(こう)をゆずります。そういう人は、形の上ではいつも退(ひ)いてばかりいるように見えますが、その実、共同社会の全体を推し進めている人でありますから、ほんとうの意味で進んでいる人であります。
 岡山の孤児院の創立者として有名だった石井十次さんは、「己(おのれ)の善(ぜん)をなさんがために人をそこなうことなかれ」という言葉を一生の守りとしていたそうですが、この言葉は実に深い意味を持っているように思われます。善(よ)いことは誰しもしたい、だから競って善いことをする、みんなが善いことをする世の中は、きっと善い世の中にちがいない。ちょっとそう考えられますが、その善いことというのが「己の善」であっては、決して世の中はよくなりません。
 「己の善」というのは自己満足の善であります。善いことをしたと自分が得意になりたいために行う善であります。どうかすると人を押しのけて自分だけの功名(こうみょう)手柄にしたくなるような善であります。そういう善は、一方では世のため、人のためになっているようでも、他の一方では、人を傷つけ世を害しているので、決して「完全な善」であるとはいえません。いや、善を行うという旗じるしの下(もと)で、共同社会の調和と統一とを害するのでありますから、考えようではおそろしい悪だともいえるのであります。
 公共のために生きようとする人は、単に人と功(こう)を争わないだけでなく、周囲に何か面白くないことが起こると、深く自ら省(かえり)み、進んでその責(せき)に任ずることさえいとわぬ人であります。
(下村湖人著「青年の思索(しさく)のために」より)

 弊社では、男性社員の有志で早朝のトイレ掃除を行なっています。それは、打算を持って掃除をするのではなく、あくまでも自分自身を磨くものであります。
 私自身、約30年間のトイレ掃除や県道のゴミ拾いを行なってきました。振り返ってみると、始めた頃は、自分を強く印象付けるための打算を持った「目立ちたい」がための行為でした。それが今では目の前の汚れを無心で磨けるようになりました。掃除を続けて一番よかったのは自分に自信がついたこと、健康になったこと、そして多くのことに気づく心が養われたことです。
 上記の「青年の思索のために」にあるように、「己の善」を為(な)すのではなく、深く自らを振り返って、よく考えて、その責任を果たしていきます。


(フレッシュタニサケ2019年9月号より抜粋)

感化力は自己犠牲に比例する ~「感化力」を身に付けるために~

 社内において、社員への教育は絶対不可欠ですが、社員はなかなか心を開いてくれないものです。社員の心を開かせるためには、上に立つ者が、「感化力」を身に付けることが必要です。「感化」とは、人に精神的な影響を与えて心・行いを変えさせることで、言葉の教育ではなく、やって見せる「後ろ姿の教育」といえましょう。
 9歳までは形から心に入る強制的なしつけの教育が可能ですが、10歳を過ぎると自我が確立してくるので、強制や言葉での教育は難しくなり、心から入る教育に変えなくてはいけません。そのためには、何より感化する力が必要なのです。

 「感化力は自己犠牲に比例する」という言葉をご紹介します。自己犠牲とは、自分の時間を他人のために使うことで、手足を使って人を喜ばせる実践です。そうした実践(自己犠牲)を繰り返すことで、人を感化する力(感化力)が身に付くのです。
 私は早朝に会社のトイレ掃除やゴミ拾いを30年間続けたおかげで、生活にリズムができて、耐える力も培われました。掃除を自己犠牲とは思いませんでしたが、結果としてよい社風ができ、心地よい雰囲気の会社「タニサケ」になってきました。
 その証拠として、ほとんどの男性社員が朝早く出勤して社内の美化活動をしてくださっています。「やらされる掃除」ではなく「やる掃除」なので、それぞれが楽しんで行なっています。
 感化力の向上には、打算のないトイレ掃除が最高かもしれません。お互いに自己犠牲を意識せず、自然体で人を喜ばせようではありませんか。

 感化力の高い人は「徳の高い人」です。傲慢で自我の強い人の言うことは、聞く人の心が「伏せたコップ」の状態になるため、誰も聞いてくれません。徳の高い人は、自分を捨てて人のために尽くす「自己犠牲」を続けて人を喜ばせていますので、その言葉は、聞く人の心のコップを上向きの状態にさせ、耳に響くものとなります。
 私は高校を卒業して地元の企業に勤め、その後、転職をしましたが、ずっと朝一番の出社を心掛けてきました。おかげさまで、75歳になった今でも早朝の出勤は苦になりません。ただ「徳の高い人」には程遠いと自覚しています。

 「人生を価値高く生きる」と決意した人は、まずは勤務先に一番早い出社をして、玄関の掃除から始めましょう。


(フレッシュタニサケ2019年8月号より抜粋)

恵まれすぎた境遇に育った人に

 君は「恵まれすぎた境遇に育ったために意思が弱い」といって歎いている。しかしそれに打ち克つ道は、君が現在の境遇からのがれてわざわざ逆境を選ぶことではない。君は、君の現在の幸福を足場にして、不幸な人たちのためにたえず何事かを考え、計画し、そしてそれを実践に移すべきだ。
 君がもし私のこの意見に同意し、根気よくその努力を続けていくならば、君はおそらく一年とはたたないうちに、君自身の意思の強さについて自信を持ちうるようになるであろう。
 しかも、そうして練られた意志の強さには少しの危険もない。逆境で練られた意志の強さは、しばしば冷たい意志や、ゆがんだ意志の強さになりがちなものだが、君は君自身そうした危険をさけうるだけでなく、他人をその危険から救うことさえできるであろう。恵まれた境遇というものは、その意味からいっても、逆境よりは遥かにいいものなのだ。 (下村湖人著 青年の思索のために)

 今の日本には恵まれた人や高学歴の人が多くいて、知の面は著しく向上しています。でも、なぜか日本国はよくなってきていないようです。
 恵まれた人は、一歩を踏み出す勇気を持ち、多くの人と関わって行動されることをお薦めします。初めの一歩として、掃除に挑戦するのはいかがでしょうか。掃除を体験すると、情の面が進化して、いろいろと気付くことがあります。その一つは、今まで自分の気付かないところで掃除をしてくださった人への感謝です。
 私の体験で申し上げますと、掃除をすることで謙虚になり目線が下がります。人を上から目線で見るより、下から見上げると、その人の内面までよく分かります。人だけではありません。全てのことがよく見え、さまざまなことを感じるようになります。そして、人間力(知と情の総和)がついて、多くの方からの信頼が得られます。
 恵まれた人は、掃除を実践することで心を成長させ、社会性が育まれ出番が生まれます。次に行うべきことは、人を喜ばせる実践です。笑顔、明るい挨拶、陽気(ポジティブ)、積極的な行動等を通して、人との交流を楽しんでください。「真のエリート」になるには、腕を組んで考えているだけでは一歩も進みません。
 まずは行動なのです。恵まれた皆様、高学歴の皆様の人間力向上を目指しての「一歩を踏み出す勇気」に期待しています。


(フレッシュタニサケ2019年7月号より抜粋)

「カレーライス」

 「カレーライスが作れますか。カレーライスは、日本人の大好物です。もちろん、自分で作った経験がありますよね?」と男性に尋ねると、ほとんどの人は「ありません」と答えます。カレーライス作りには、仕事に役立つ大きなヒントが隠されています。
 それは、段取りに始まり、刻(きざ)む・炒(いた)める・煮詰めるなど完成までの過程で多くの工夫がいるからです。カレーライス作りを体験することにより、物事に対する工夫・知恵が沸(わ)いてきます。そして、何より、今までおいしいカレーライスを食べさせてくれた母親・妻に感謝する心が生まれてきます。
 カレーライスと同様に、他の料理でも仕事に役立つ大きなヒントを得ることができます。俗(ぞく)に言う「体験に勝る学問なし」です。現代の若者は、口は達者ですが、手足の使えない人が多いといいます。入社試験にカレーライス作りを実施して、その実践力を試すのも一案ではないでしょうか。
 私は小学校の頃から台所で炊事(すいじ)をしてきましたので、それが、あらゆる場面で役立ってきました。元京都女子大の小泉和子教授も「子供が炊事の手伝いをすることで、食物や動物についての知識が増え、観察が深くなり、注意深く、賢くなり、手先が器用になり、頭が柔らかくなり、美的センスが育つ」と述べておられます。料理の中にはいろいろなヒントがあるわけです。子供だけではなく、成人男性もカレーライス作りに、ぜひ挑戦しましょう。

 弊社では、社員の皆さんに「知恵を出してください」とお願いしています。知恵を出すのは、圧倒的に女子社員が多いです。創業期の頃は、男性社員からはほとんど出ませんでした。それは家事をやっていないことも一因です。女性は、掃除・洗濯・炊事などの忙しい合間に知恵を出しているのです。私は「多忙は知恵を生む」と確信しました。今では、男性社員からの改善提案も多くなり、社内が活性化しています。
 全国の会社から工場見学に来られて、数々の改善事例を見て感心をされる方が多いのですが、自社に戻り、足を一歩踏み出すといった行動力がないので進化が見られません。まずは、目の前の小さな不都合の改善に挑戦することです。 
 それもできないようなら、NHKテレビ「チコちゃんに叱られる」の「ボーっと生きてんじゃねーよ!」を社是(しゃぜ)にされたらどうでしょうか(笑)。


(フレッシュタニサケ2019年6月号より抜粋)

「バングラデシュからの見学」

 1月31日に(財)海外産業人材育成協会の紹介で、バングラデシュの各企業から23名の社長および幹部の方々がタニサケへ見学に来てくださいました。参加者の中には、社員数5万人の会社の幹部の方もおられました。バングラデシュの国民の平均年齢は23歳と大変に若く、将来への可能性を秘めた国と聞いていたので、わくわくした気持ちで受け入れました。工場見学での説明および私の講話は、同行の通訳の方が英語で皆様に伝えてくださいました。

 工場見学の前に私が少しお笑いを入れたことにより、参加者が大笑いをされ、さらに弊社が用意した、日本一おいしい「ツマガリさんのお菓子」を食べられた喜びと重なり、場の雰囲気が一気に上がりました。

 バングラデシュの皆様に、よい会社づくりは「上に立つ者がお手本を見せること」、「会社を美しくすること」が肝要であると伝えました。具体的には弊社の清水社長が早朝に「トイレ掃除」を、私は会社周辺の「ゴミ拾い」を実践していると語りました。すると、聞いていた皆様が清水社長と私に大きな拍手をしてくださいました。

 工場見学の後、弊社に学ぼうとする積極的な姿勢の皆様から数多くの質問があり、大いに盛り上がりました。今まで海外から多くの見学者がありましたが、一番気持ちのよい皆様でした。バングラデシュの皆様の輝く瞳を見て、燃えたぎる、強い活力を感じました。そして、バングラデシュは大成長すると確信をしました。また、当日の記念写真を帰り際にお渡ししたら、あまりの即行に驚き、そして大満足をされていました。5年後が楽しみなバングラデシュの皆様でした。

見学された方からのお便り(バングラデシュの銀行の幹部の方より)
 あなたの会社は、その規模にかかわらず、世界中のどの会社にとっても真のお手本となるものです。あなたの経営哲学は、今まで私の人生で見た中でも最高のものの一つです。私はあなたの経営哲学を自分の会社だけでなく、わが国にも広めなければなりません。「改善提案」による業務の改善は、各分野で頂点をめざす全ての組織の模範になります。
 改めて、私たちは、あなたと社員の皆様に感謝の意を表します。あらゆる点でタニサケが繁栄し、幸せで成功することを願います。


(フレッシュタニサケ2019年5月号より抜粋)

「偉大なる小河二郎さん」

 平成30年11月27日、島根県益田市にある自動車教習所、(株)コガワ計画(Mランド)の創業者の小河二郎さんがお亡くなりになりました。私が尊敬する小河さんは、卓越した「経営方針」と、類(たぐ)い希(まれ)な「経営哲学」を持った人物で、全国から人が集まる日本有数の自動車教習所を創り上げるとともに、免許取得のため入校した茶髪でピアスの現代っ子を、礼儀正しくボランティア精神に富んだ若者に変えました。小河さんは、社員に対する教育の考え方も独特で徹底したものがありました。そのいくつかを紹介します。

いいかげんに仕事をしなさい
 「いいかげん」とは適当に仕事をしなさいということではなく、「良い加減」にしなさいという「中庸(ちゅうよう)」のことである。極端にやりすぎても、手を抜きすぎても良い仕事はできない。「良い加減」にするということを意識したときに、初めてお客様に満足いただける仕事ができるのである。

素直さこそが万事の元
 善悪の違いを身に付けるには「素直さ」しかない。何の疑いもなく、純粋に相手の言葉を聞き、受け入れる。それができたときに、初めて思いやりの心が生まれる。その心こそが素直さであり、総(すべ)ての元である。

美しくなりたく候
 美しくなりたく候(そうろう)は、早稲田大学の會津八一(あいづやいち)教授の言葉ですが、小河さんはこの言葉を愛し、社員に教えられました。
 私は「美しくなるとは、内面が成長するということである。成長するには成長したいという思いを持つことが大事である。そうなるために日夜研鑽(けんさん)を積み、そして先祖を敬(うやま)い、自らのいのちを愛することである」と学びました。

 小河さんの教えには「いのち」というキーワードがたくさん出てきます。小河さんは、自らの戦争体験を通して、国を守り、国を進化させる若者にいのちの大切さを訴(うった)え、そのいのちこそが「国の宝」であると教えられました。また、運転免許を取得しようとする若者をお客様として迎えたとき、大切ないのちを預かる側の真剣さを指導員に厳しく教え、生涯、若者の成長を願い続けた人生でした。享年(きょうねん)96歳。小河さんがよく言われた「ありがとうと言ってくれて、ありがとう」の言葉が、今も耳元で聞こえるようです。


(フレッシュタニサケ2019年4月号より抜粋)