トップ > 会長のひとりごと

会長のひとりごと

「真心の情報を発信」

 2019年4月からの私の生活リズムが大きく変わった出来事が松岡 浩会長との関わりでした。「大阪・松岡会」の勉強会に2度も招聘いただいた事はもちろん、この8か月間に、松岡会長から届く莫大な情報量とそれへの対応に追われる日々と言っても過言ではなかったと思います。送られてきた書籍は、小冊子を含めて30冊を超え、ほぼ毎日届く「メール便」・「パンフレット・葉書の写し」のFAXでの転送等々に目を通す間も無い程の情報量でした。
 「情報社会」と言われる今日、改めて「情報」について考えてみました。各種メディアから私達に届けられる情報の質・内容について、それらが私達の暮らしにとって価値あるものかどうか? 必要なものかどうか? 有効か無効か?受け取る私達が決めることではありますが、もし発信する側の意志・意図が作用したとすれば、一体どうなるのでしょうか?
 「情報操作」と言われる意志を感じて、個人の判断以上に大きな影響を与え、そのことで世論が形成され、あるいは一定の社会風潮が形づくられることを危惧するのは私だけではありますまい。
 そんな中で、松岡会長から届く情報は価値が高く有用性に富み、質・量ともに深く考えさせられる重い内容ばかりでした。

(宮崎県椎葉村 綾部正哉先生のお便りから)



 綾部先生のお便りを拝読して、私宛の「天からの使命」に気付きました。それは、有用で価値ある「情報」を多くの方に発信し「よい国づくり」を目指すことです。
 その実践として、私宛に届く多くの情報をよく仕分けをして「人生を輝かせ、生きる力を与える紙面」を届けることを決意しました。
 もちろん、私一人ではできませんので、同志である「大阪・松岡会」の会員の皆さんらと共に「真心の情報」を集めて、縁のある方々にお届けします。
 もし、読者の方で人生のヒントや明るく楽しい情報があれば、お手紙やFAXでお知らせいただければ幸いです。
 毎月発行の社内報「フレッシュタニサケ」をお送りする際に「おまけ」と称して永年にわたり同封している紙面も、もっとレベルアップをしていきます。
 乞う、ご期待!


(フレッシュタニサケ2020年2月号より抜粋)

「理想は高く」

 どんな人間にとっても望ましいことは、できるだけ早い機会に、自分の一生の理想なり、目的なりをはっきり決めて、その理想や目的に向かって「四六時中(しろくじちゅう)」努力を集中することであります。
 理想や目的を決めるには、むろん、まず第一に自分の努力の限界を見極(みきわ)めなければなりませんし、第二に自分を取り囲んでいる、いろいろな事情、とりわけ家族その他の人間的なつながりを考慮にいれなければなりません。
 しかし、能力は鍛(きた)えれば鍛えるほど伸びるものであり、周囲の事情も、誠意と努力次第では、望む方向に打開できないとは限らないのでありますから、現在の能力や事情だけにとらわれて、理想や目的があまりに控(ひか)え目になるのも考えものであります。
 また、昔から「棒ほど願って針ほどかなう」という諺もあるぐらいで、理想や目的は、なかなか思いどおりに達せられるものではありません。ですから、常識を逸(いっ)した、笑うべき空想にならないかぎり、人間は夢を持つべきであります。自分の現在の能力や周囲の諸事情をある程度のりこえて、理想や目的をできるだけ大きく、かつ高く定めることは、決して悪いことではありません。いやそれでこそ、個人としても社会としても、その進歩発展に大きな飛躍があるわけであります。


(下村湖人著「青年の思索のために」より)



 20歳前後で社会に出ていく若者に、明確な人生目標があればいいのですが、この人生目標は一部分の人を除いてなかなか決めることはできません。現実に私自身、会社勤めのサラリーマンとなり、家庭の事情で商店経営を引き継ぎ、その後、会社を共同で設立し、今に至ります。振り返ると、運命のままに仕事に従事していたようです。ただ、どの職場でも一所懸命に汗をかいて働いていました。
 参考までに、凡人の私は、40歳のときに共同で設立した会社で初めて「高い志(こころざし)」を立てました。それは、「高齢者にとって生き甲斐(がい)のある会社」を創る、というものです。その志も年々窯(よう)変し、「全社員が嬉々(きき)として出社する人生道場」、そして、「他者中心に生き、周りの人に喜びを与える」になりました。
 「理想は高く」は大切なことですが、小さな実践目標を具体的に決め、ご自身が年々成長して自分の力量にあった理想を求め続けてください。何(いず)れにしても「世のため、人のため」という思いを強く持ち、努力を積み重ねることです。「燃える人生」を経験し、その生(い)き様(ざま)を子々孫々に伝えられる人生を目指しましょう。


(フレッシュタニサケ2020年1月号より抜粋)

遠藤 実さんの珠玉の言葉

平成8年、タニサケ発行の小冊子、三輪真純先生の「いのちの呼応による喜びの発見」(絶版)より

 テレビで作曲家、遠藤 実の一代の放映がありました。彼は昭和7年生まれで、戦争中、父親の故郷の新潟郊外に母と疎開(そかい)し、食べ物のない貧しい生活に入ったため、いろいろなもので空腹を満たしていました。ある日、タニシを拾いに行って大きなタニシを見つけました。拾おうとするとタニシはこなごなになって、その下にタニシの赤ちゃんが詰(つ)まっていたのです。わが子を育てるために母タニシは自分の肉を与え、命がつきても外敵から子を守っていたのです。遠藤少年はこのタニシに、自分の母親の姿を見たのでした。
 それまでは、やせてボロをさげた母を汚(きたな)らしいと思っていました。友達と同じように、若くてきれいな母親が欲しいと思っていたのですが、母は誰のためにボロをさげているのか……それをタニシから教わったのです。それから、遠藤少年は中学の進学を断念し、いつも慰(なぐさ)めてくれていた歌の世界に進む決心をします。旅まわりの楽団に歌手として採用され、旅の生活に入ったのですが、間もなくその楽団は解散し、彼は仲間と農村の家々を「門付(かどづ)け」して歩きます。
 その後、彼は貧苦のなかで16回も転々と職を変えることになります。ある時、決心して、農家の手伝いをやめ、昭和24年に両親にも言わず友人から貰った靴を売って旅費をつくり、ヨレヨレのズボンに底のない靴をはいて、上京して「ギター流し」をやり、遂(つい)に「夢追い人」として初志をつらぬいたということです。
 やがて彼は作曲家として名をなし、中学しか出ていない彼が作曲した「高校三年生」を当時の高校生が歌っていたのです。

遠藤 実さんの珠玉の言葉
●「汗を流して自分で勝ちとったものが一番尊い。どんな高価なものでも、他人から与えられたものにはそれだけの価値しかない」
●「貧しい中にこそ、キラキラ光る心の宝がある。豊かな中に落ちているものといえば、人がバカに見え、小さく見える眼鏡ぐらいのものだ」
●「親に孝行しろと言えば古いといい、先祖を大切にしろと言えば右翼(うよく)呼ばわりする。祖先があり親があって自分があるのだと言えば、そんなことは当たり前だという。その当たり前のことを素晴らしいと感動できる心こそ大切なのだ」
●「仕事に行(い)き詰(つ)まるのは、俺がやっているのだという思いあがりがあるからだ。他人にやらせてもらっていることに気がつけば、行き詰まるはずがない」
※ 苦悩を突き抜けると、人間として巾ができ、人生の勝利者に導く。


(フレッシュタニサケ2019年12月号より抜粋)

人の下に立つことを学ぶ

 公共のために自らを省(かえり)み、自らを責(せ)める人は、また常に心をむなしゅうしてよく人に学ぶ人であります。しかもその学ぶことは、人の上に立つ道ではなくて、人の下に立つ道でなければなりません。
 中江藤樹(なかえとうじゅ)は学問について次のように言っております。
「それ学は、人に下ることを学ぶものなり。人の父たることを学ばずして、子たることを学び、師たることを学ばずして弟子たることを学ぶ。よく人の子たるものはよく人の父となり、よく人の弟子たるものはよく人の師となる。自ら高ぶるにあらず、人より推(お)して尊ぶなり」
 いったい人間は、生まれおちるとすぐから、誰に教わらずとも、人に勝ち、人の上に立ちたいという気持ちは自然にもっているものであります。そのくせ、真に人に勝ち、人の上に立つだけの資格をそなえるようになった人は、きわめてまれであります。それはなぜかというと、人にゆずり、人の下に立つことを学ぼうとしないからであります。
 人の上に立つものは、必ずまず人の下に立つことを学ばなければなりません。それも将来、人の上に立つことを目あてにして、その手段として人の下に立つことを学んだのでは何の役にも立ちません。それでは決して人の下に立つ道は会得(えとく)されないのであります。純一無雑(じゅんいつむざつ)になって喜んで人の指図をうけ、心をむなしゅうして人に教えを乞(こ)い、一生をそれで終わっても悔(く)いないだけのつつましさがあって、はじめてそれは会得されるのであります。そして、それでこそ自然に人に推され、人の上に立つだけの資格ができるのであります。
 よく下るものはよく学び、よく学ぶものはよく進む。これが学問の法則でもあり、また処世(しょせい)の法則でもあります。そしてこれも、社会公共のために生きる心に出発してはじめてできることなのです。

(下村湖人著「青年の思索のために」より)



 「人の下に立つことを学ぶ」。私には手遅れですが、反省を込めて皆様に「下座行(げざぎょう)」に徹することをおすすめします。「下座行」とは自分の身を人よりも一段低い位置に置き、打算を持たずに体を使って人を喜ばす「行」といえます。また、物事は上から見るより下から見る方が細部までよく分かります。
 「下座行」の代表的なものはトイレ掃除です。ひざまずいて便器を磨くことで、見えない心が磨かれるようです。この「下座行」を続けることで、他人を意識して体裁(ていさい)を繕(つくろ)い、他者から自分をよく見せようとする「みえ」をも体から消し去ってくれて、多くの人々との縁ができ、なおかつ多くの気付きができ、仕事も人生も楽しむことができます。


(フレッシュタニサケ2019年11月号より抜粋)

三方よし

 モラロジー(道徳科学)の創建者、故・廣池千九郎(ひろいけちくろう)先生は、私の尊敬する人物の一人であります。「三方(さんぽう)よし」という精神を唱(とな)えていらっしゃいました。「自分もいい、相手もいい、そして周りのみんなもいい」というものです。
 私が宮崎県の教育委員会に勤務していたとき、道徳の担当でした。当時は道徳について、「己(おのれ)もよし、汝(なんじ)もよしとする人倫(じんりん)関係」「自分もいい、相手もいいと思うことを求めていきましょう」と捉(とら)えがちでした。「じゃあ、自分と相手だけの問題か。周りはそれでどうなるんだ」と思いました。廣池先生がおっしゃる「三方」ではなく「二方」での捉えかたではないか。以来、私は「三方」の重要性を県下の先生方に説(と)いて回りました。
(綾部正哉著『生涯生燃(せいねん)』 ㈱タニサケ発行より)

 私の感覚では、今の日本で「三方よし」をめざしている人は10パーセント、「二方よし」にとどまる人が20パーセント、自分だけよければよいという「一方よし」の人が70パーセントで、多くの人が自己中心です。本当に残念な日本国になってしまいました。
 この原因は日本文化の低迷であり、低俗化したテレビ番組です。これを青少年が見続けたら将来はどうなるのかという未来予測をしていないのが、現代のマスコミではないかと思います。
 テレビを利用して自社を宣伝する日本の大会社は、もっと格調高い番組をテレビ局に要請してほしいものです。
綾部先生は、以下のように呟(つぶや)かれています。
「権兵衛が種蒔(ま)きゃ烏(からす)が穿(ほじく)る」を言い回して、
敢(あ)えてマスコミ批判を!
「マスコミ」とは最大限に多くの人々(マス)の、会話・対話(コミュニケーション)が本来の意味である。果たして、現在のマスコミ報道機関はその通りの機能を発揮しているだろうか? 一面的・一方的な報道に終始するのではなく、日本の現状を憂(うれ)え、将来に危機感を抱(いだ)く人々の「声なき声」を、もっと大きく取り上げて、「権兵衛が立派な作物にと願って蒔いた種を穿り返さない」で欲しいものである。


(フレッシュタニサケ2019年10月号より抜粋)

己の善をなさんがために 人をそこなうことなかれ

 公共のために生きるには、まず第一に謙遜(けんそん)でなくてはなりません。謙遜な人は、よく人に功(こう)をゆずります。そういう人は、形の上ではいつも退(ひ)いてばかりいるように見えますが、その実、共同社会の全体を推し進めている人でありますから、ほんとうの意味で進んでいる人であります。
 岡山の孤児院の創立者として有名だった石井十次さんは、「己(おのれ)の善(ぜん)をなさんがために人をそこなうことなかれ」という言葉を一生の守りとしていたそうですが、この言葉は実に深い意味を持っているように思われます。善(よ)いことは誰しもしたい、だから競って善いことをする、みんなが善いことをする世の中は、きっと善い世の中にちがいない。ちょっとそう考えられますが、その善いことというのが「己の善」であっては、決して世の中はよくなりません。
 「己の善」というのは自己満足の善であります。善いことをしたと自分が得意になりたいために行う善であります。どうかすると人を押しのけて自分だけの功名(こうみょう)手柄にしたくなるような善であります。そういう善は、一方では世のため、人のためになっているようでも、他の一方では、人を傷つけ世を害しているので、決して「完全な善」であるとはいえません。いや、善を行うという旗じるしの下(もと)で、共同社会の調和と統一とを害するのでありますから、考えようではおそろしい悪だともいえるのであります。
 公共のために生きようとする人は、単に人と功(こう)を争わないだけでなく、周囲に何か面白くないことが起こると、深く自ら省(かえり)み、進んでその責(せき)に任ずることさえいとわぬ人であります。
(下村湖人著「青年の思索(しさく)のために」より)

 弊社では、男性社員の有志で早朝のトイレ掃除を行なっています。それは、打算を持って掃除をするのではなく、あくまでも自分自身を磨くものであります。
 私自身、約30年間のトイレ掃除や県道のゴミ拾いを行なってきました。振り返ってみると、始めた頃は、自分を強く印象付けるための打算を持った「目立ちたい」がための行為でした。それが今では目の前の汚れを無心で磨けるようになりました。掃除を続けて一番よかったのは自分に自信がついたこと、健康になったこと、そして多くのことに気づく心が養われたことです。
 上記の「青年の思索のために」にあるように、「己の善」を為(な)すのではなく、深く自らを振り返って、よく考えて、その責任を果たしていきます。


(フレッシュタニサケ2019年9月号より抜粋)

感化力は自己犠牲に比例する ~「感化力」を身に付けるために~

 社内において、社員への教育は絶対不可欠ですが、社員はなかなか心を開いてくれないものです。社員の心を開かせるためには、上に立つ者が、「感化力」を身に付けることが必要です。「感化」とは、人に精神的な影響を与えて心・行いを変えさせることで、言葉の教育ではなく、やって見せる「後ろ姿の教育」といえましょう。
 9歳までは形から心に入る強制的なしつけの教育が可能ですが、10歳を過ぎると自我が確立してくるので、強制や言葉での教育は難しくなり、心から入る教育に変えなくてはいけません。そのためには、何より感化する力が必要なのです。

 「感化力は自己犠牲に比例する」という言葉をご紹介します。自己犠牲とは、自分の時間を他人のために使うことで、手足を使って人を喜ばせる実践です。そうした実践(自己犠牲)を繰り返すことで、人を感化する力(感化力)が身に付くのです。
 私は早朝に会社のトイレ掃除やゴミ拾いを30年間続けたおかげで、生活にリズムができて、耐える力も培われました。掃除を自己犠牲とは思いませんでしたが、結果としてよい社風ができ、心地よい雰囲気の会社「タニサケ」になってきました。
 その証拠として、ほとんどの男性社員が朝早く出勤して社内の美化活動をしてくださっています。「やらされる掃除」ではなく「やる掃除」なので、それぞれが楽しんで行なっています。
 感化力の向上には、打算のないトイレ掃除が最高かもしれません。お互いに自己犠牲を意識せず、自然体で人を喜ばせようではありませんか。

 感化力の高い人は「徳の高い人」です。傲慢で自我の強い人の言うことは、聞く人の心が「伏せたコップ」の状態になるため、誰も聞いてくれません。徳の高い人は、自分を捨てて人のために尽くす「自己犠牲」を続けて人を喜ばせていますので、その言葉は、聞く人の心のコップを上向きの状態にさせ、耳に響くものとなります。
 私は高校を卒業して地元の企業に勤め、その後、転職をしましたが、ずっと朝一番の出社を心掛けてきました。おかげさまで、75歳になった今でも早朝の出勤は苦になりません。ただ「徳の高い人」には程遠いと自覚しています。

 「人生を価値高く生きる」と決意した人は、まずは勤務先に一番早い出社をして、玄関の掃除から始めましょう。


(フレッシュタニサケ2019年8月号より抜粋)

恵まれすぎた境遇に育った人に

 君は「恵まれすぎた境遇に育ったために意思が弱い」といって歎いている。しかしそれに打ち克つ道は、君が現在の境遇からのがれてわざわざ逆境を選ぶことではない。君は、君の現在の幸福を足場にして、不幸な人たちのためにたえず何事かを考え、計画し、そしてそれを実践に移すべきだ。
 君がもし私のこの意見に同意し、根気よくその努力を続けていくならば、君はおそらく一年とはたたないうちに、君自身の意思の強さについて自信を持ちうるようになるであろう。
 しかも、そうして練られた意志の強さには少しの危険もない。逆境で練られた意志の強さは、しばしば冷たい意志や、ゆがんだ意志の強さになりがちなものだが、君は君自身そうした危険をさけうるだけでなく、他人をその危険から救うことさえできるであろう。恵まれた境遇というものは、その意味からいっても、逆境よりは遥かにいいものなのだ。 (下村湖人著 青年の思索のために)

 今の日本には恵まれた人や高学歴の人が多くいて、知の面は著しく向上しています。でも、なぜか日本国はよくなってきていないようです。
 恵まれた人は、一歩を踏み出す勇気を持ち、多くの人と関わって行動されることをお薦めします。初めの一歩として、掃除に挑戦するのはいかがでしょうか。掃除を体験すると、情の面が進化して、いろいろと気付くことがあります。その一つは、今まで自分の気付かないところで掃除をしてくださった人への感謝です。
 私の体験で申し上げますと、掃除をすることで謙虚になり目線が下がります。人を上から目線で見るより、下から見上げると、その人の内面までよく分かります。人だけではありません。全てのことがよく見え、さまざまなことを感じるようになります。そして、人間力(知と情の総和)がついて、多くの方からの信頼が得られます。
 恵まれた人は、掃除を実践することで心を成長させ、社会性が育まれ出番が生まれます。次に行うべきことは、人を喜ばせる実践です。笑顔、明るい挨拶、陽気(ポジティブ)、積極的な行動等を通して、人との交流を楽しんでください。「真のエリート」になるには、腕を組んで考えているだけでは一歩も進みません。
 まずは行動なのです。恵まれた皆様、高学歴の皆様の人間力向上を目指しての「一歩を踏み出す勇気」に期待しています。


(フレッシュタニサケ2019年7月号より抜粋)

「カレーライス」

 「カレーライスが作れますか。カレーライスは、日本人の大好物です。もちろん、自分で作った経験がありますよね?」と男性に尋ねると、ほとんどの人は「ありません」と答えます。カレーライス作りには、仕事に役立つ大きなヒントが隠されています。
 それは、段取りに始まり、刻(きざ)む・炒(いた)める・煮詰めるなど完成までの過程で多くの工夫がいるからです。カレーライス作りを体験することにより、物事に対する工夫・知恵が沸(わ)いてきます。そして、何より、今までおいしいカレーライスを食べさせてくれた母親・妻に感謝する心が生まれてきます。
 カレーライスと同様に、他の料理でも仕事に役立つ大きなヒントを得ることができます。俗(ぞく)に言う「体験に勝る学問なし」です。現代の若者は、口は達者ですが、手足の使えない人が多いといいます。入社試験にカレーライス作りを実施して、その実践力を試すのも一案ではないでしょうか。
 私は小学校の頃から台所で炊事(すいじ)をしてきましたので、それが、あらゆる場面で役立ってきました。元京都女子大の小泉和子教授も「子供が炊事の手伝いをすることで、食物や動物についての知識が増え、観察が深くなり、注意深く、賢くなり、手先が器用になり、頭が柔らかくなり、美的センスが育つ」と述べておられます。料理の中にはいろいろなヒントがあるわけです。子供だけではなく、成人男性もカレーライス作りに、ぜひ挑戦しましょう。

 弊社では、社員の皆さんに「知恵を出してください」とお願いしています。知恵を出すのは、圧倒的に女子社員が多いです。創業期の頃は、男性社員からはほとんど出ませんでした。それは家事をやっていないことも一因です。女性は、掃除・洗濯・炊事などの忙しい合間に知恵を出しているのです。私は「多忙は知恵を生む」と確信しました。今では、男性社員からの改善提案も多くなり、社内が活性化しています。
 全国の会社から工場見学に来られて、数々の改善事例を見て感心をされる方が多いのですが、自社に戻り、足を一歩踏み出すといった行動力がないので進化が見られません。まずは、目の前の小さな不都合の改善に挑戦することです。 
 それもできないようなら、NHKテレビ「チコちゃんに叱られる」の「ボーっと生きてんじゃねーよ!」を社是(しゃぜ)にされたらどうでしょうか(笑)。


(フレッシュタニサケ2019年6月号より抜粋)

「バングラデシュからの見学」

 1月31日に(財)海外産業人材育成協会の紹介で、バングラデシュの各企業から23名の社長および幹部の方々がタニサケへ見学に来てくださいました。参加者の中には、社員数5万人の会社の幹部の方もおられました。バングラデシュの国民の平均年齢は23歳と大変に若く、将来への可能性を秘めた国と聞いていたので、わくわくした気持ちで受け入れました。工場見学での説明および私の講話は、同行の通訳の方が英語で皆様に伝えてくださいました。

 工場見学の前に私が少しお笑いを入れたことにより、参加者が大笑いをされ、さらに弊社が用意した、日本一おいしい「ツマガリさんのお菓子」を食べられた喜びと重なり、場の雰囲気が一気に上がりました。

 バングラデシュの皆様に、よい会社づくりは「上に立つ者がお手本を見せること」、「会社を美しくすること」が肝要であると伝えました。具体的には弊社の清水社長が早朝に「トイレ掃除」を、私は会社周辺の「ゴミ拾い」を実践していると語りました。すると、聞いていた皆様が清水社長と私に大きな拍手をしてくださいました。

 工場見学の後、弊社に学ぼうとする積極的な姿勢の皆様から数多くの質問があり、大いに盛り上がりました。今まで海外から多くの見学者がありましたが、一番気持ちのよい皆様でした。バングラデシュの皆様の輝く瞳を見て、燃えたぎる、強い活力を感じました。そして、バングラデシュは大成長すると確信をしました。また、当日の記念写真を帰り際にお渡ししたら、あまりの即行に驚き、そして大満足をされていました。5年後が楽しみなバングラデシュの皆様でした。

見学された方からのお便り(バングラデシュの銀行の幹部の方より)
 あなたの会社は、その規模にかかわらず、世界中のどの会社にとっても真のお手本となるものです。あなたの経営哲学は、今まで私の人生で見た中でも最高のものの一つです。私はあなたの経営哲学を自分の会社だけでなく、わが国にも広めなければなりません。「改善提案」による業務の改善は、各分野で頂点をめざす全ての組織の模範になります。
 改めて、私たちは、あなたと社員の皆様に感謝の意を表します。あらゆる点でタニサケが繁栄し、幸せで成功することを願います。


(フレッシュタニサケ2019年5月号より抜粋)

「偉大なる小河二郎さん」

 平成30年11月27日、島根県益田市にある自動車教習所、(株)コガワ計画(Mランド)の創業者の小河二郎さんがお亡くなりになりました。私が尊敬する小河さんは、卓越した「経営方針」と、類(たぐ)い希(まれ)な「経営哲学」を持った人物で、全国から人が集まる日本有数の自動車教習所を創り上げるとともに、免許取得のため入校した茶髪でピアスの現代っ子を、礼儀正しくボランティア精神に富んだ若者に変えました。小河さんは、社員に対する教育の考え方も独特で徹底したものがありました。そのいくつかを紹介します。

いいかげんに仕事をしなさい
 「いいかげん」とは適当に仕事をしなさいということではなく、「良い加減」にしなさいという「中庸(ちゅうよう)」のことである。極端にやりすぎても、手を抜きすぎても良い仕事はできない。「良い加減」にするということを意識したときに、初めてお客様に満足いただける仕事ができるのである。

素直さこそが万事の元
 善悪の違いを身に付けるには「素直さ」しかない。何の疑いもなく、純粋に相手の言葉を聞き、受け入れる。それができたときに、初めて思いやりの心が生まれる。その心こそが素直さであり、総(すべ)ての元である。

美しくなりたく候
 美しくなりたく候(そうろう)は、早稲田大学の會津八一(あいづやいち)教授の言葉ですが、小河さんはこの言葉を愛し、社員に教えられました。
 私は「美しくなるとは、内面が成長するということである。成長するには成長したいという思いを持つことが大事である。そうなるために日夜研鑽(けんさん)を積み、そして先祖を敬(うやま)い、自らのいのちを愛することである」と学びました。

 小河さんの教えには「いのち」というキーワードがたくさん出てきます。小河さんは、自らの戦争体験を通して、国を守り、国を進化させる若者にいのちの大切さを訴(うった)え、そのいのちこそが「国の宝」であると教えられました。また、運転免許を取得しようとする若者をお客様として迎えたとき、大切ないのちを預かる側の真剣さを指導員に厳しく教え、生涯、若者の成長を願い続けた人生でした。享年(きょうねん)96歳。小河さんがよく言われた「ありがとうと言ってくれて、ありがとう」の言葉が、今も耳元で聞こえるようです。


(フレッシュタニサケ2019年4月号より抜粋)